権利の主張と現場のリアル ―コンプライアンスの理想論に潜む歪みの考察―

近年の「ハラスメント」や「コンプライアンス」という言葉の氾濫、そして過剰なまでのポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の潮流に対し、私は一抹の危惧と、言語化しがたい居心地の悪さを抱いてきた。もちろん、これらがあらゆる論を排して認められるべき理想であることは理解している。個人の尊厳を守るルールに真っ向から異を唱えるつもりはない。しかし、現実の社会や現場を動かす泥臭い力学を無視し、ただ「建前」だけを盲目的に支持する、いわゆる「なんちゃって知識人」の言説には、どうしても実感を伴った共感を寄せることができないのである。異論は認めつつも、私は一つの現場の実感として、次の事象について考えてみたい。

先日報じられた医療センターでのマタニティハラスメントの事案(1)は、その歪みを象徴しているように思えてならない。報じられた管理者の言葉の選び方は、確かに稚拙であり、管理職としての配慮を欠いていたことは事実であろう。しかし、その背景にある「誰かが制限を受ければ、他の誰かに負担が直撃する」という現場の切実な悲鳴までを全否定することはできないはずだ。特に医療現場のような慢性的人手不足のシフト制において、夜勤の免除が周囲にどれほどの皺寄せをもたらすかは火を見るより明らかである。

ここで議論されるべきは、妊娠という事象の性質である。妊娠は、いつどこで罹患するか予測のつかない突発的な「病気」とは本質的に異なる。多くの場合、それはある程度の計画性を持って成立するものであり、当事者には事前の予測や準備の余地があるはずだ。それならば、当事者である看護師もまた、自らの職場環境や同僚たちの勤務状況を客観的に認識し、妊娠に至る前、あるいは判明した初期の段階で、配置換えや時短勤務の可能性を組織に相談するなどの「大人の配慮」があって然るべきではないだろうか。事態が切迫してから、自身の権利と都合だけを一方的に主張し、周囲への負担軽減の調整を組織へ無条件に求める姿には、いささか社会人としての成熟を欠いているのではないかという疑念が残る。

さらに違和感を覚えるのは、管理者から苦言や現状を突きつけられた際、それを即座に「マタハラ」として外部窓口に訴えるという選択肢を、反射的に取るその姿勢である。かつて日本社会や様々な厳しい現場において、人間が一人前になる過程には、厳しさや理不尽を飲み込み、謙虚に教えを乞うという関係性が存在した。上司と部下の間に生じた摩擦を、対話や相互の歩み寄りによって解決しようとせず、ルールという刃を借りて「敵対行動」に打って出る人間関係の希薄さと攻撃性には、個人的に強い嫌悪感を抱かざるを得ない。

マイノリティの権利を尊重することは大切だ。しかし、それが常にマジョリティ側の理解と、少なからぬ「一部の犠牲」の上に成り立っているという厳然たる事実から目を背けてはならない。理想論だけを掲げ、現場の泥臭い調整や犠牲を払っている人間を冷笑するような風潮に、私は強い危機感を覚える。私たちが生きる世界は、決して綺麗な建前だけで回っているわけではない。互いへの謙虚さと、自らの行動が周囲に与える影響への想像力――それらを持ち合わせることこそが、本当の意味での「共生」ではないだろうか。

 

(1)「他の人の深夜勤務が増える」と部下にマタハラ 指宿医療センターの50代女性管理者を減給処分 南日本新聞2026/7/11

国立病院機構九州グループは10日、部下の女性に対し、マタニティーハラスメントに該当する言動をしたとして、指宿医療センター(鹿児島県指宿市)の50代の女性看護管理者を同日付で減給処分にしたと発表した。
同グループによると、管理者は昨年8月、妊娠した部下の女性から「深夜勤務を減らしたい」と相談を受けた際、「他の人の深夜勤務が増える」と発言した。さらに女性が「放射線業務を外してほしい」と要望したが、代替職員がおらず計9回業務に就かせた。
昨年12月、女性が同センターのハラスメント窓口に相談して発覚。聞き取り調査などを実施し、今年3月に調査委員会でハラスメントと認定された。
管理者は「不快な思いをさせたことを深く反省し、繰り返さないよう努める」と話したという。
センターの宮薗太志院長は「誠に遺憾。再発防止策の徹底に努める」とコメントした。今後改めてハラスメント関連の研修を実施するという。

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