8月の終戦記念日が訪れるたびに私は毎年考えることがある。勝てるはずのない超大国を相手になぜ日本という国はあの日破滅へと続く引き金を引いてしまったのだろうか。後世の私たちはよく「当時の指導者たちが狂気に取り憑かれていたからだ」と片付けがちだが、記録を紐解けば紐解くほど浮かび上がってくるのは、発狂した狂人の姿などではなく冷徹なデータと迫りくるタイムリミットを前に追いつめられた秀才たちが導き出した「絶望的な合理性」の姿であるように私は感じている。
ことの始まりは国家の命脈であるエネルギー資源を完全に断たれたことにある。大陸での戦線が泥沼化し周辺諸国からの経済的な締め付けが限界に達したとき(ABCD包囲網)、石油の大半を海外に依存していた日本は何もしなければ一年余りで国家機能が全廃するという死のカウントダウンを突きつけられた。この局面での選択肢は二つのみ①相手の要求を丸呑みしてこれまでの犠牲や権益をすべて捨て去り二流国へ転落する②南アジアの資源地帯へ自ら打って出て一か八かの賭けに出るであった。
むろんまともに戦えば勝てる見込みがないことは当の本人たちが一番よく理解していたはずだ。開戦の直前に官僚のエリートたちが集められて行われた緻密な戦争シミュレーションも「初期こそ優勢を保つものの長引けば物量差で確実に敗北する」というのちの悲劇を寸分違わず言い当てた予測であった。しかしその不都合な真実を前に組織の頂点に立つ者たちは「計算通りにいかないのが世の常だ」と目を背けてしまったのである。
彼らを突き動かしたのは決して狂気などではなく「組織に蔓延する空気」だったと私は考える。すでに膨大な予算と命が費やされている以上今さら引き返せない。「やめよう」と声を上げれば、組織の面目を潰したとして裏切り者の烙印を押される。誰も全体の最終責任を負おうとせずに互いの顔色と空気だけを読み合った結果「座して死を待つよりは奇跡に賭けて暴れてみよう」というあまりに虚しい論理が採用されてしまったのだと思う。
そして迎えた開戦の日さらに運命の歯車は決定的に狂い出す。騙し打ちはアメリカ国民の怒りを買って早期和解の道を閉ざしてしまうことを熟知していた日本は大使館からアメリカ政府へ外交交渉打ち切りの通知(宣戦布告)を手渡す計画でいた。しかし大使館では前夜の送別会による体制の緩みも重なり暗号解読やタイピング作業の手間取り文書がアメリカ側に手渡されたのは真珠湾に爆弾が落ちた約1時間後であった。意図せぬ「騙し打ち」の烙印を自ら買って出てしまった日本はそれまで戦いに懐疑的だったアメリカの世論を一気に「復讐」へと一致団結させてしまった。巧妙な外交戦と情報戦の前でこの国は最初の一撃を放った瞬間にすでに致命的な敗北を決めてしまっていたのである。
そして数百万の命が失われ日本中が焦土と化して迎えた結末は歴史が示す通りである。だがこの惨劇を世界の歴史という大きな俯瞰で見直した時、異なる皮肉な側面が浮かび上がってくるのである。当時の世界は白人国家による強固な植民地支配のもとにあり「絶対的な支配者には逆らえない」という諦めが蔓延していた。そこに同じアジアの小国が巨大な列強の軍隊を一時的にせよ圧倒した様子は数百年続いた不敗の神話を根底から覆したように見えたのではないだろうか。
もちろん軍を進めた真の目的は自国の都合による資源の強奪であり現地に多大な惨禍をもたらした現実は動かない。しかしその激動が現地の人々に「自分たちも銃を取って戦い国を動かせる」という火種を撒いたことも事実だったと私は思う。敗戦によってまるで自爆するかのように滅び去った日本の破裂した衝撃波が結果として世界的な脱植民地化の時代の扉を強引にこじ開ける引き金となったのもまた紛れもない真実である。
歴史を振り返るとき過去の人間を「愚かだった」と切り捨てるのは容易い。しかし私にとって本当に恐ろしく思えるのは、あの時代を破滅へ導いた欠陥「誰も責任を取らず組織の空気に流されて不都合な現実から目を背け撤退できなくなる」という病理が、今も日本の政界や官僚機構だけでなく民間企業の現場まで、この国の持病として強くはびこっていると感じられる点である。行き詰まった事業を「これまで投資したから」とやめられず、空気を読んで正論を押し殺し、現場の警告が握りつぶされる光景を目にするたびに私はあの時代の影を感じずにはいられない。
では私たちはこれからどうしたらよいのだろうか。根深い同調圧力の呪縛を破るためには私たち一人ひとりが「空気」という無責任な共同幻想に対して毅然と異を唱える勇気をもって不都合な事実や撤退の判断を正当に評価する文化を意識的に育てていくことが大切だと思う。かつて全体主義の空気が国を呑み込んでしまったように、集団の愚行を止めるのは常に「客観的なデータに基づいて損をしてでも引き返す勇気」を持った個々の強い意志ではないだろうか。過去の過ちを単なる歴史の鑑賞で終わらせることなく、自らの身の回りにある「小さな空気の支配」に抗い続けること・・・それこそが私たちが同じ悲劇を繰り返さないためのだだひとつの処方箋なのではないかと私は強く感じているのである。

