祭り囃子の聞こえる街で

秋が深まる季節になると、私が暮らす街はどこかソワソワとした熱気に包まれる。福岡県の南部、かつては城下町として栄えたが、今では過疎化と高齢化の波に洗われている静かな街である。年に一度の秋祭りの日には、おそろいの法被を身に纏った大勢の大人たちが、子供たちも連れて賑やかに山車を引いて練り歩く。街角に太鼓と笛の音が響き渡り、沿道では顔なじみ同士が声を掛け合って笑い合っている。私はその光景を、少し離れた道端からどこか穏やかな心地で眺めている。

 

この街に居を構えてから30年以上が経った。半生をここで重ねてきたが、あの楽しげなお祭りの輪の中に私の居場所はない。関東の地方都市から縁もゆかりもないこの土地にやってきてクリニックを開業した私に対して、近所の住民から冗談めかして言われた言葉は「ここは50年住まないと本当の市民にはなれんよ」だった。30年住み続けた今でも、私はいいまだに「よそ者」であって、あのお祭りの賑わいは、己の疎外感を静かに突きつけられる時間でもある。

 

法被を着て笑い合う彼らの世界には、強い人間関係の結びつきと「柵(しがらみ)」があることもよく承知している。町内会、青年会議所、消防団などの地域活動と、地元の小中学校時代からの厳しい上下関係が一生続く、極めて濃密なコミュニティ。私には息苦しく感じられ、耐えられないであろう世界であって、彼らには彼らなりの大変さがあり、その濃密な絆に苛まれる日々も決して少なくないとも理解している。

 

家族やほんの少しの学生時代の友人以外では、仕事に伴う利害関係でつながった人間関係しか持ち得ていない自分。かつての故郷を遠く離れて縁もない土地で、徐々に年老いていく自分。その「根無し草」のような存在感の孤独というものは、どこから来るのだろうか。その背景には、私たちが歩んできた社会の構造、つまり能力主義というシステムがもたらした負の側面があるように思える。

 

私は関東のごく普通の地方都市に、ごく普通の庶民の子供として生まれ育った。地元にある公立の進学校へ進んだが、それほど熱心に勉強に励んでいたわけでもなく、ごく平凡な高校生として青春時代を過ごした。昭和の後半、受験競争の熱が高まっていた時代に学校や社会が求めていたことは、レールから逸脱せずにより高い目標を目指して努力することだった。高校卒業時には、地元の友人たちの大半は東京の大学を目指して故郷から立ち去っていった。そして彼らはそのまま東京に本社を置く大企業に就職し、今でも近郊の都市部で暮らしている。

 

私は不思議な縁から佐賀という地で大学時代を過ごして医師となった。特に感慨はなかったが、客観的な数値によって進路が振り分けられていく感覚……これこそが能力主義の冷徹な一面であった。個人の能力と努力によって評価される社会というのは一見公平のように見えるが、その裏で、地方から可能性を持つ人材を抽出する巨大な選別装置として機能してきた。昔であれば地元にとどまっていたはずの若者たちが、能力主義の潮流の中で地方を離れて大都市圏へと集積していくことで、地方に構造的な変化がもたらされた。

 

能力主義がもたらした影響は、経済的な違いだけでなく、人間の精神や価値観にも影を落としている。自らの努力や結果で道を切り拓いたと感じる人々は、無意識のうちに「自分は自力で今の立場を得た」と考えがちになって、地方に残った人々に対して厳しい視線を向けることがある。一方で、地方に残された人々は、自分たちの生き方や故郷が時代の中心から置き去りにされているという疎外感を抱く。彼らが共同体を守るために外部からの侵入者を警戒し、排他性を示すのは、自分たちの生活圏を守るために必要な防衛本能でもあるのだと思う。

 

しかし、能力主義に従って都会に進んだ人たちが本当に満たされているかといえば、そうとも限らない。東京へ進出して多忙な日々を送るかつての友人たちは、激しい競争や終わりのない評価の目に晒されて、常に緊張感を強いられている。自らの価値を示し続けなければ生き残れないという焦燥感。彼らもまた、「故郷」という温かい安全基地のようなものから遠く離れて生きる、根無し草なのである。

 

そして私自身もまた、その構造の中にいる。故郷を遠く離れた九州で医師となって、現在は福岡市とここ地元の両方でクリニックを営んでいる。日々の仕事にやりがいは感じているが、一歩生活の場に戻れば、私はお祭りの輪に入れない「永遠のよそ者」である。地域のコミュニティに深く入り込む余地はなくても、自らの仕事を頼りに生きてきたのだが、年齢を重ねてふとした瞬間に心をかすめるのは、穏やかな寂しさである。仕事上のつながりと家族以外で、この土地に自分の存在を深く繋ぎ止める「根」というものが存在していない事実。

 

対して、お祭りの山車を引く地元の人々は、さまざまな地域での泥臭い活動や柵(しがらみ)と引き換えに、「自分はこの街の一員である」という圧倒的な当事者意識と確かな居場所を持って暮らしている。どちらの生き方が優れているとか、幸せであるとかの問題ではない。私は故郷を離れて医師としてこの地で生きることを選ぶことによって、「柵(しがらみ)のない自由」を獲得した代わりに、「地域への深い帰属感」を手放したのである。感じている寂寥感は、この自由と引き換えに支払ったささやかな代償なのである。

 

なので、自分が「根無し草」であることに思い悩み、祭りの日に疎外感を感じて寂しく嘆いたりするのはもうやめようと思う。故郷を離れて見知らぬ土地で学び、働き、試行錯誤を繰り返して、時に泣き、時に笑いながらも、医師として真摯に懸命に生きてきたことの全て・・・時代の波に揉まれながらも自分なりの誠実さで自らの役割を果たそうと歩んできた足跡は、紛れもない現実なのだから。

 

これからは謙虚な気持ちで、この土地に深く根を張って生きている人々に対し、静かな敬意を払い続けることにしようと思う。彼らがこの街を守り、伝統を繋いできてくれたおかげで、生活基盤が成り立っているのだから。私は完全に地域に溶け込むことはできないが、医師という仕事の役割を通じて人々と緩やかに繋がり、接してゆこうと思う。この穏やかな距離感を保つことが、自分の心を平穏に保つことにつながると感じるから。

 

祭りの笛の音が、夕闇の迫る街並みに遠ざかっていく。山車が去った後の通りには、少しの静けさと心地よい余韻が漂っている。近所ではお互いの家を行き来しながら宴会を始める楽しげな声が聞こえてくる。人は誰もが、どこかの故郷から歩み出して、何かを得て、何かをそっと置き去りにしながら自分の人生を選択してゆく。

 

故郷とは、単に生まれ育った場所だけを指すのではない。戸惑いや疎外感を抱きながらも、自分の足で立って、働いて、暮らして、半生を過ごした場所であるこの街も、故郷ではないが私にとって大切な拠点である。祭り囃子がすっかり途絶えた秋の夜空を見上げながら、私はそっと深く息を吸い込んだのであった。

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