民主主義とポピュリズムの関係性について

ポピュリズムが現代の政治を歪めているということが近頃よくいわれるようになっています。政治家は選挙に勝たなければ「ただの人」になってしまうので大衆に迎合するのは当然の流れということになるのですが、ポピュリズムというのは多数決が原則である民主主義政治において善悪のどちらなのかを考察してみたいと思います。

まずポピュリズムの定義ですが・・・大衆迎合主義・放漫財政(ばらまき政策)・扇動主義などとメディアのその時の都合(誰を攻撃するか)によって様々な意味に用いられるので実際に何を意味しているのかが非常に解りづらく、結局は既存のメディアや政敵が好ましくない対象をポピュリズムと呼んでいるだけともいえると思われます。

ポピュリズムは全体の平均(一般大衆の真ん中)を対象とするので言い換えれば凡人至上主義であり、エリート層が思った通りの政策が進まない場合にポピュリズムだと名指しで批判される対象となるので、ポピュリズムの実態は反エリートであると考えられます。

日本で最もポピュリズムな政治家としてまず記憶に新しいのが小泉純一郎元首相でしょう。彼は2005年の郵政解散選挙で「評論家は大衆迎合で危険だと言うが大衆を信じないでなぜ民主政治がなりたつのか?」と演説しました。

理屈だけでいえばまさにその通りで大衆(people)を全面に押し出すポピュリズムというのは民主主義の基本ともいえます。しかし民主主義は基本的にボリュームゾーンである民衆の中央値(偏差値50)をターゲットにするために議論の内容が平易で白黒つけやすい単純なものになりやすい傾向があります。小泉氏はまさにその特性を利用して単一論点政治(single issue politics)に持ち込んで選挙に勝利したわけです。評論家が危惧していた通り深い議論がなされないまま民主主義の弱点が利用された例となりました。

近年でポピュリズム政治という言葉が注目されるようになったのは東西冷戦が終わった1990年代以降で、この時期はグローバル化や金融資本主義が始動し産業構造の再編が起こった時代です。つまり経済活動の大きな変化に取り残されてそれを快く考えない人たちが一定数存在する時期であるといえます。

直近ではトランプ大統領やブレグジットを支持したのがラストベルトやイングランド北部のかつて経済成長を担った重厚長大産業が発展していた地域であり、IT産業に資本が集中することを是としない新しい成長や発展から取り残されて没落しつつある旧中間層が支持するのがポピュリズム政治といえます。つまり現在のデジタル金融資本主義や移民流入などの民族・社会のグローバル化のような変化を脅威と考える人たちの本音であるのです。

海外のポピュリズム支持者が地方で取り残された人々であるのに対して、現在の日本におけるポピュリストは大都市圏に住む既得権益に拒絶反応を示す人々や地方交付税交付金による不公平感を持つ人々が主体です。このことは都市部の有名な首長(首長であった)例えば小池百合子氏・橋下徹氏・河村たかし氏・わが福岡市の高島宗一郎氏など改革派と呼ばれる人達がポピュリズム政治家であることからも納得できると思います。

ポピュリズム=反エリートという定義からすると、日本のエリートはグローバル派でもリベラル派でもないということになります。加えてポピュリズム支持の高さは所得や属性より政治不信や将来への悲観度に比例するというデータがあります。つまり日本では選挙によって選んだ議員が投票した市民が期待していた政治をできていないという歪みが大きいためにポピュリズムが台頭してきているのだと考えられます。

つまりポピュリズムが民主主義に良い影響や悪い影響を与えているのではなく、ポピュリズム自体が民主主義政治に内包される性質のものであり、民主主義を害するものではなく民主主義が危うくなったときに台頭してくるものであるといえます。

ですからポピュリズムに政治が過剰に振り回されず安定するように権力者であるエリート達(日本においては国会議員や官僚が該当すると思われる)は自分たちの考える正義を押し付けるばかりでなく(利権がらみの正義はもってのほかであるが)市井の声を傾聴し丁寧な政策の施行(民主主義の基本)に努めるしかないのではないかと考えられます。

薬院高橋皮ふ科クリニック 福岡市中央区薬院1-5-11 薬院ヒルズビル2F 092-737-1881